ずっと以前、本アイディア&&テクノロジーで、アイディアを持っている人を技術で支えると言うコンセプトで、インディーズ音楽家のサイトを立ち上げる活動などを行っていました。その時、まだ blog と言う言葉も曖昧だった時代に書いていた日記が『今日、僕は思う』と言うタイトルでした。恐らく、これが最後の『今日、僕は思う』になる筈です。一つの区切りとして今の思いを書いて置こう、と思ったわけです。
以前のサイトでは書いていなかったのですが、当時僕はソニーのソフトウェア・エンジニアでした。ソニーと言えば、設立趣意書に『真面目なる技術者の技能を、最高度に発揮せしむべき自由闊達にして愉快なる理想工場の建設』とあるほど、エンジニアが自由に提案する会社でありました。それが僕個人的な趣向と大変あっていて、大変いやすい会社だったのです。会社も、技術も、社会貢献がミッションであり、利益も出世も後から付いてくると本気で考えていました。なので、技術を提供すると言うボランティアを様々やってきたのだと思います。
僕は2014年にソニーを辞めました。おいおいとその辺りの経緯はこのサイトでネタに明らかにしていきたいと思いますが、少なくとも僕の好きだったソニーは変わってしまったと思っていました。しかし、そのようなボランティア活動を通して、また、大学院で組織論やコミュニティ論、社会起業論を学ぶ中で得たことは、そもそもの話として、エンジニアのその様な視点そのものが、世間的にはなかなか理解されにくい、実は極めて稀なことなんじゃないか、と言うことでした。逆に、僕があたりまえだと思っていたこと---つまり、人間行動の源泉は経済ではなく、社会に対する目的意識にあるとこと---は、まったく世の中的にあたりまえじゃなかったのです。
しかし、古きよき時代のソニー有名人の格言の中や、由緒ある経営学、コミュニティ論の中には、僕の気持ちを代弁するエッセンスがたくさん現れます。ソフトウェア・エンジニアの世界ではアジャイルと言う手法が注目されていますが、この手法もまた、各個人の自律性にポイントがあり、人間行動について語っています。アジャイルの一潮流であるリーン開発、元はトヨタ方式です。古きよき日本の、個々人の目的意識に置いたオペレーションが、合理主義米国で言語化されたのがアジャイルとも言えます。もちろん、エンジニアとしての僕の経験も、僕の気持ちを代弁してくれる筈です。それらを以って、エンジニアのチームを動かす力とは、一部のエリートや有名人や権力者たちによって作られるのではなく、むしろ個々人にこそ眠っていることを、明らかにしていきたいと思うのです。
お付き合いいただければ幸いです。