80年代『月刊I/O』に見るエンジニアの投稿文化
月刊I/O 1985年8月号
ここに示しますのは、1980年代、エンジニアのコミュニティとして機能していた『月刊I/O』1985年8月号です。今や当時のI/O誌、入手困難でマニアの間ではそこそこの高値がついています。どうやって、この画像を手に入れたのでしょう。それを知るには『月刊I/O』編集長様のこちらのエントリーなどがヒントです。もちろん、今販売中の『月刊I/O』、アレ以来、客先帰りの三省堂で買ってますよ・・!
さて、表紙を眺めてみましょう。特集は『パソコンを電話に繋ごう!』当時、出版元の工学社はTele Starと言うパソコン通信を行っていたので、その特集・・・ではありません。そんな軟弱な記事は月刊I/Oの特集記事ではありません。半導体メーカーである日本テキサスインスツルメンツ社の寄稿によるガチな記事で、モデムチップのブロック・ダイアグラムやらタイミング・チャートやらが並び、完全に設計者向けの仕様書の体裁です。
目次を開いてみましょう。一番最初の特集記事のページがいきなり300Pです。あれ?良く見るとこの目次、ページに対して順番になっていないんですね。最初の記事は『ポケコンでネットワーク・ゲームを』のページは193P。あれれ?
実はこの『月刊I/O』、広告がたくさんの雑誌で、最初の目次から193Pまでずーっと広告です。NEC、富士通、シャープをはじめとするマイコン新製品広告から、ゲームソフト、ワープロソフト、販売店の値引きマイコン広告、中古マイコン、特殊な用途のハードウェア広告などなどが並びます。ちなみに、本誌のコンテンツは193Pから376Pまでで、377Pからも白黒の広告が続きます。最後は550Pあまり。コンテンツ実にコンテンツは184ページに対して、広告365ページにも及びます。
広告も実に見ごたえがあります。以下、サンプルとして、当時ホビー向けコンピュータ NEC PC-8801 mkII SR(と言ったって通常構成だと30万は確実に超えました。HDDもないのに!)の広告、少しお安い PC-6601 SR / PC-6001 mkII SRの広告、今はテクモと合弁した初期コーエイの『信長の野望』の広告です。PC-8801に比べるとPC-6001シリーズは販売ソフトウェアの豊富さを売りにしています。もちろん、PC-8801の方が販売ソフトウェアの量も多かったのですが、パソコン買ってプログラミングできない人はレベルが低い、と言う風潮を表しているような広告です。今なおコーエイテクモの看板である『信長の野望』、こんなにチープだったんですよね。今では考えられません。もっとも、エニックスの広告なんか、もっとチープなんですが。
コンテンツのほとんどは「投稿」。しかし内容はプロ顔負け。
さて、『月刊I/O』コンテンツの話題に戻ります。実は特集の10ページを除くほぼすべての項目は、読者からの「投稿」で構成されます。例えば、『X1シリーズ FM音源カードの製作』。X1シリーズはシャープが「パソコンテレビ」と銘打って販売していたマイコンで、NEC PC-8801シリーズとはライバル的関係にある割とポピュラーなマイコンです。当時は表現力の低いPSG音源というピコピコ言ういかにも電子音から、FM音源と言う更に表現力の高い、より自然な音を出せる音源への移行期で、その出力チップを使った回路とソフトウェアで X1 で FM音源を鳴らすと言う投稿記事です。
あと1ページ音源チップをコントロールするプログラムのソースリストが続きます。これはハードウェアとマイコンを連携させる『実験&製作』コーナーへの投稿記事。他も純粋なソフトウェア開発の投稿もあり、『SRアセンブラ』はPC-6601SR/PC-6001 mkII SR用自作のアセンブリ言語。
月刊I/Oの人気コーナーは、やはりゲーム。当時はまだファミコン全盛期ですが、まだまだ本格的なゲームは少ない時代でした。スムーズな動きはファミコンですが、精細なグラフィックスやアドベンチャーゲームやロールプレイングゲームと言った長編ストーリーを要するゲームはマイコンでなければなりませんでした。何より、どのようなゲームが面白いか、まだまだ確定してはいなかった時代、自分でゲームプログラミングができるマイコンは大変魅力的だったわけです。月刊I/O 1985年8月号のゲームコーナーには、月刊I/O誌上でも名作の一つとされる Hover Attack でした。X1版をエミュレーションしたと言う Windows版 Hover Attack があります。今遊んでも面白い・・と思うのですが、いかがでしょうね。
実際、ゲームに限らずどの投稿記事もプロ顔負けの高いレベルと迫力があります。月刊I/OはセミプロITエンジニアの卵達の自発的創造の場、コミュニティであったわけです。